講師 福岡大学大学院生
大重 優花さん
「中世チャイナタウン博多と油山天福寺の梵鐘」
毎日猛暑が続いていますが、
皆さん元気に参加してくれました。
11世紀中頃の鴻臚館の廃絶後は、
博多綱首(はかたこうしゅ)が博多での
貿易を担っていた。
博多綱首とは、宋から来た商人たちが博多に家を構え妻をめとり
宋・高麗と博多を往来し貿易を行った彼らを称して言う。
これを住藩(じゅうばん)貿易という。
また、彼らの居住区を「博多津唐房」すなわちチャイナタウンと
考えられている。
油山は、貝原益軒の書によると、
胡麻を多く作り寺院に供給していた
とあるが、地域の人は清賀上人(せいがしょうにん)
が椿油の半精製法
を伝えたからと言われてきた。さて、どっち・・・
が椿油の半精製法
を伝えたからと言われてきた。さて、どっち・・・
天福寺については、興味深いお話を
幅広く聞かせていただきました。
ご興味のある方には、当日の資料を
お渡しいたします。
ぜひ、公民館までお尋ねください。